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仲代達矢さん「第二のふるさと」能登が最後の舞台に 演劇根付かせる
2025.11.11
能登を「第二のふるさと」と繰り返し語り、まちづくりにも関わった名優・仲代達矢さんが逝った。92歳だった。
最後に立った舞台は、自ら監修した能登演劇堂(石川県七尾市中島町)で今年5~6月に主演した「肝っ玉おっ母と子供たち」だった。
「能登のことをいつも気にかけてくれていた」。長年、交流があったという七尾市の大林重治さん(83)=のと共栄信用金庫相談役=は沈んだ声で振り返った。
最大震度6強を観測した2007年の能登半島地震に続く昨年元日の地震に「心が折れそうだ」と話していたという。「無名塾には力のある若者がたくさんいる。いつでも声をかけてくれ」と言い、塾生らがボランティアに駆けつけていた。「仲代さんが残したものを引き継いでいかなければ」と語った。
石川県立七尾東雲高校で演劇科を指導した元教諭の酒井藤雄さん(68)は「仲代さんのおかげで多くの子どもたちが演劇に出会えた」と話す。演劇堂完成から5年後の2000年、前身の中島高校に演劇コースが開設。入学式には仲代さんも出席し、生徒は無名塾の塾員の演技指導も受けてきた。
演劇堂の事務所で会った際に「お座りなさいよ」と気さくに声をかけられたことが忘れられないという。
能登演劇堂は「10月開催の無名塾『幽霊』の公演でも元気な姿を見せて下さいました。にわかには信じがたいことです」と談話を出した。「この地に演劇文化を根付かせていただきました」と感謝し、「時折、まだ演じたい舞台があることも元気におっしゃっていました。元気な姿が目に浮かび淋(さび)しいかぎりであります」と惜しんだ。(石川幸夫、永井啓子)
最後に立った舞台は、自ら監修した能登演劇堂(石川県七尾市中島町)で今年5~6月に主演した「肝っ玉おっ母と子供たち」だった。
「能登のことをいつも気にかけてくれていた」。長年、交流があったという七尾市の大林重治さん(83)=のと共栄信用金庫相談役=は沈んだ声で振り返った。
最大震度6強を観測した2007年の能登半島地震に続く昨年元日の地震に「心が折れそうだ」と話していたという。「無名塾には力のある若者がたくさんいる。いつでも声をかけてくれ」と言い、塾生らがボランティアに駆けつけていた。「仲代さんが残したものを引き継いでいかなければ」と語った。
石川県立七尾東雲高校で演劇科を指導した元教諭の酒井藤雄さん(68)は「仲代さんのおかげで多くの子どもたちが演劇に出会えた」と話す。演劇堂完成から5年後の2000年、前身の中島高校に演劇コースが開設。入学式には仲代さんも出席し、生徒は無名塾の塾員の演技指導も受けてきた。
演劇堂の事務所で会った際に「お座りなさいよ」と気さくに声をかけられたことが忘れられないという。
能登演劇堂は「10月開催の無名塾『幽霊』の公演でも元気な姿を見せて下さいました。にわかには信じがたいことです」と談話を出した。「この地に演劇文化を根付かせていただきました」と感謝し、「時折、まだ演じたい舞台があることも元気におっしゃっていました。元気な姿が目に浮かび淋(さび)しいかぎりであります」と惜しんだ。(石川幸夫、永井啓子)