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国際手話でデフリンピックを支えたい 自身も難聴のスタッフ・若山華子さん 学生最後の年にチャレンジ

2025.11.12
〈デフリンピック 支える〉全3回

①サポートスタッフ・若山華子さん(22)

 窓の外が暗い6限目。茨城県つくば市の筑波技術大で、国際手話でのコミュニケーション手法の最終研修があった。出席した15人ほどの学生は、東京デフリンピックでサポートスタッフとして海外の選手らに対応する。日付や季節の風物詩、日本の昔話の内容などを題材に、身ぶり手ぶりで伝えるコツを習う。笑顔と明るい声があふれる。(大野孝志)

◆高校では「ありのままの自分では過ごせなかった」

 その中の一人が新潟市出身の若山さん。「デフリンピックが日本で開かれるなんて、めったにない機会。学生最後の年に、何かできることはないか」。大学のスタッフ募集に手を挙げた。国際手話を学べるチャンスでもある。

 生まれつきの感音性難聴で、高校まで補聴器をつけ、聴者と同じ学校に通った。中学生の時、吹奏楽部のクラリネットで東京六大学野球を応援したのをきっかけに、スポーツ観戦が好きになった。「現場で応援したい」というのも、スタッフに応募した理由の一つ。

 中学までは自分の障害を知る人が周りに多かったが、高校では「障害を知る人がほとんどおらず、ありのままの自分では過ごせなかった」。好奇の目で見られるのではと怖くなり、補聴器が見えないよう、長い髪を毎日下ろしていた。

◆手話と出合って芽生えた意欲

 大学を選んだのは「多様性を尊重し、聴覚障害者が肩身の狭い思いをしない社会にするために、何ができるのかを学びたいから」。手話と出合い「こんな言葉もあるのか。日本手話をもっと上手になって、国際手話もやってみたい」と思うようになった。

 総合デザイン学科支援技術学コース4年で、障害者が暮らしやすくなるグラフィックデザインを学んできた。「聴者との架け橋になりたい」という願いを込め、卒業研究では手話を写真で分かりやすく紹介するカレンダーを作る。新潟の実家に帰る時の体験がベースになっている。

 駅は音にあふれ、駅員の声が聞こえない。自分が言うことも、周りに理解してもらえない。駅ではたいてい時間に追われ、筆談も難しい。災害などの緊急時には、なおさらだろう。「駅や空港のスタッフに手話を覚えてもらえたら」と思い、目にすることの多いカレンダーで「地震」「非常口」「みどりの窓口」といった簡単な手話を紹介することにした。

◆「自分のしたいように表現できるようになった」

 大会ではハンドボール会場で、受け入れる立場になる。伝えたいことを国際手話で表現し、障害の有無や国境を超える橋となる。観客らの誘導に当たる3000人のボランティア向けに、東京都の依頼で制作した動画では、聴覚障害者がどんなことに困るのか、どんな配慮が必要なのかを、大学の仲間3人にインタビューしてまとめた。

 大学生活を通じ、同じ障害がある学生たちのはつらつとした姿を見て「自分もこんなふうに生きたい」と感じた。「聴覚障害者だから」と否定的に考えることは減り、補聴器を見られることにも抵抗がなくなった。「自分のしたいように表現できるようになった」

 国際手話では、日本の手話が通じない相手にどう表現すれば理解されるかを考え、世界的に通じる手話単語やジェスチャーを組み合わせて意思疎通を図る。ノウハウやコツとも言え、自分なりの工夫が必要。堂々と、積極的に。最近は、髪をアップにしている。

 15日開幕の聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」では、普段から手話を使う筑波技術大の学生100人超がサポートスタッフ(ボランティア)となり、大会会場で海外からの選手や応援の人たちに対応する。他に開閉会式に出演したり、記者として選手の活躍を伝えたり。大会を支え、盛り上げる若者を紹介する。