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「障害者スポーツの父」を激励 パラリンピックの開会式に込めた思い
2025.11.06
■11月8日(1964年) パラリンピック東京大会開会式
1964年のこの日、パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)東京大会の開会式があり、大会名誉総裁の上皇さま(当時・皇太子)と上皇后さま(同・皇太子妃)が出席した。
この大会の実現に向け、上皇ご夫妻が関係者を激励し、各国の選手団の通訳・介助を担うボランティアの結成に尽力したことはあまり知られていない。
東京パラリンピックの開催を提唱したのが、大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」の創設者で、「障害者スポーツの父」と呼ばれた故・中村裕さんだ。
障害のある人たちへの社会理解が十分とは言えなかった時代に、中村さんは「保護より機会を」の理念を掲げ、障害者の働く場づくりに努めた。さらに、障害者が自立するためにはスポーツが必要だとして、東京パラリンピック開催に向けて奔走した。
中村さんの活動を知ったご夫妻は、中村さんや関係者をお住まいの東宮御所(当時)に招き、大会準備に向けた報告に耳を傾けたり、激励したりした。
また、各国から来日する選手団へのサポートとして、ボランティアで通訳や介助を担うことになった際には、上皇后さまは懇意にしていた日本赤十字社青少年課長の橋本祐子さん(故人)の活動を支援。通訳ボランティアの勉強会に足を運び、関係者をねぎらったという。
東京・代々木で開かれたパラリンピックの開会式。上皇さまはあいさつに立ち、「私はこの大会が日本で開かれたことを心から喜びます。我国のみなさんの友人にどれほどの希望と激励を与えるかわからないからであります」と語った。
1964年のこの日、パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)東京大会の開会式があり、大会名誉総裁の上皇さま(当時・皇太子)と上皇后さま(同・皇太子妃)が出席した。
この大会の実現に向け、上皇ご夫妻が関係者を激励し、各国の選手団の通訳・介助を担うボランティアの結成に尽力したことはあまり知られていない。
東京パラリンピックの開催を提唱したのが、大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」の創設者で、「障害者スポーツの父」と呼ばれた故・中村裕さんだ。
障害のある人たちへの社会理解が十分とは言えなかった時代に、中村さんは「保護より機会を」の理念を掲げ、障害者の働く場づくりに努めた。さらに、障害者が自立するためにはスポーツが必要だとして、東京パラリンピック開催に向けて奔走した。
中村さんの活動を知ったご夫妻は、中村さんや関係者をお住まいの東宮御所(当時)に招き、大会準備に向けた報告に耳を傾けたり、激励したりした。
また、各国から来日する選手団へのサポートとして、ボランティアで通訳や介助を担うことになった際には、上皇后さまは懇意にしていた日本赤十字社青少年課長の橋本祐子さん(故人)の活動を支援。通訳ボランティアの勉強会に足を運び、関係者をねぎらったという。
東京・代々木で開かれたパラリンピックの開会式。上皇さまはあいさつに立ち、「私はこの大会が日本で開かれたことを心から喜びます。我国のみなさんの友人にどれほどの希望と激励を与えるかわからないからであります」と語った。