体験談
ブラックラムズ東京(その2) ワールドカップ2019の遺産(レガシー)
| 掲載日 | 2026.09.12 |
あらかね
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- 活動地域
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- 港区
- 世田谷区
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- 活動分野
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- スポーツ
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- 参加団体
- リコーブラックラムズ東京
「こんなに良いスポーツなのに、どうして伝統国の間だけでパスを回しているのだ?」森喜朗 招致委員会会長の懸命なアピールが結実して、我が国がラグビー新興国としては初めて、第9回ワールドカップを主催したのは2019年のことである。45試合はいずれも名勝負であったが、中でも日本対スコットランドの一戦は、色々な意味で永く語り継がれることだろう。なぜならば、その前夜に平成元年東日本台風(台風19号)が上陸して、各地に激甚な爪痕を残した直後だったからである。中止も危ぶまれたが、懸命の復旧作業でどうにか開催に漕ぎ付けたこの決戦には、日産スタジアムに6万7千人もの観客が押し寄せた。試合前に犠牲者に対して黙祷が捧げられる間、誰もの胸に、誰もが答え得ない問いが去来したであろう。 ~ こんな時にラグビーなのか、それとも、こんな時だからこそラグビーなのか ~
初の決勝トーナメント進出が懸かっているばかりか、期せずして天災復興祈願の念まで背負うことになった選手たちの重圧は、いかばかりだったことだろうか。だが、桜の戦士たちはそれを見事に闘志に昇華させて、勇猛果敢なゲームを展開した。7点リードのままでスコアが硬直した終盤25分間に繰り広げられた、一進一退の攻防は特に忘れ難い。福岡竪樹の捨て身のパスカットも、姫野和樹の渾身のジャッカルも、今も瞼に焼き付いている。
この大会を機にしてジャパンラグビー・リーグワンは一層の隆盛を見せるが、それは関係者の貢献も否定しないものの、第一義には、やはり選手自身が奮闘して勝ち取った成果と言えるのではないだろうか。
さて、今回はいきなり大所高所から話を始めてしまったが、実は草の根の個人レベルでも、2019年大会のレガシーは息衝いていると言える。たとえば、程度の差こそあれ、2019年大会に触発されてラムジェリスト(リコーのボランティア)に応募した人は多いのである。大会終了から活動開始まで、コロナ禍を挟んで3年の歳月が経過していたにも関わらず、である。
かく言う私も、ラグビーにはズブの素人だったにも関わらず、「4年に一度じゃない、一生に一度だ」というコピーに釣られてW杯のボランティアに応募した。もしそれで当選していたら一応の充足を得て、今頃リーグワンのボランティアを務めていないだろう。だが、パブリックビューイングを観ながら缶チューハイを呷るだけの大会期間を送ると、猛烈なやり残し感に駆られた。W杯がダメならリーグワンでも、とボランティアの口を捜したが、募集しているチームは存外少なく、登録できたのは馴染みの薄い世田谷のチームだった。どれほど地縁が無かったかは、二子玉の駅で降りたことも駒沢公園に足を入れたことも、東京に出てから四十余年にして初めてだったことで分かるだろう。その上に、勝負事だから仕方がないが、チームの負けが込んで正直ボランティアとしてモチベーションを保ちにくかった時期もある。これでは一体いつまで続くことか、と自分でも危惧した。
それでもラムジェリストとして5年目の開幕を迎えようとしているが、それはあながち惰性だけとは言えない。2024-25シーズンも後半は、強豪チームに伍して「台風の目」と評される健闘を見せ、マットソン監督がSleeping Giantと形容したチームの潜在力を実感させた。翌2025-26シーズンには、陣容があまり増強されていないにも関わらず、高い規律と粘り強い攻守とで念願のプレーオフ進出を果たした。今シーズンも本当にタフな試合日程が組まれているが、この調子ならば上位定着も観客増員も決して夢ではないだろう。
Sleeping Giantはまだ覚醒し切っていない、このチームならば必ずもっと高みを目指すことができる、そう信じて今日も黒いボランティアウェアに袖を通す。