体験談
コロナ禍で無観客開催となったために、シティキャストとして登録していた私の出番はキャンセルされてしまい、パラリンピックのマラソンで浅草区間のコース係を務めたのが、実質的に唯一の活動になってしまった。7月に実施のオリンピックのマラソンは、暑中対策として札幌開催に変更させられたが、9月実施のパラリンピックでは正規の東京ルートを走行することが認められた。それでもレースのスタート時刻は朝6時30分、ボランティアの集合は3時15分だったから、多くは前夜に区民館に参集し長机に伏して仮眠を採っていた。
交通規制で車列の絶えた江戸通りに淡い陽光が差し入り、対面のビル群に街並みの影を映している。歩道の観客は到着予定時刻を確かめながら、南から現れるランナーの晴れ姿を注視している。来た!豆粒のように見えた2台の車椅子がたちまち大きくなって、金属音を響かせながら眼前を通り過ぎた。続いて様々なランナーがやって来た、介添えに視覚を委ねて走るランナーも、不自由な肢体を懸命に振るランナーも。恥ずかしながら、それまでパラスポーツとは痛ましいものだと誤解していたが、そのレースは私の目の曇りを拭ってくれた。健常者でも障害者でも、スポーツに打ち込む姿は等しく崇高であった。
以来、パラスポーツのボランティアとして毎月活動するようになった。障害がある人が相手だと何かと神経を使うことも多く、デリカシーのない私には不向きと自覚している。それでもこの時に受けた感慨に突き動かされるように。このレースで配布されたカナリア色のボランティアウェアは、めったに袖を通さずタンスに仕舞ってある。