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言葉を越えて伝わる心【東京2025デフリンピックのボランティア】

掲載日:2025.12.25

きこえない・きこえにくい選手のための国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」(以下、デフリンピック)。2025年11月、79の国・地域などから約2,800人の選手が参加し、12日間の熱い戦いを繰り広げました。それを支えたのが、約3,000人のボランティアです。ボランティアとして活動したお二人に、活動内容や魅力、手話を使ったコミュニケーションについて聞きました。

日本で初開催「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」

「デフリンピック」は「耳がきこえない」という意味の「デフ(Deaf)」と「オリンピック」を組み合わせた言葉。きこえない・きこえにくい選手のための国際スポーツ大会として4年に1度、夏季大会と冬季大会がそれぞれ開かれます。1960年に始まったパラリンピックに対し、デフリンピックが始まったのはそれよりも前の1924年。今大会で100周年を迎えた由緒ある大会です。2025年11月15日~26日※にかけて、東京、静岡、福島の会場で、日本では初めて開催されました。※福島では11月14日から開催。

大会中、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで開かれていた「デフリンピックスクエア」

選手は競技中、公平性の観点から補聴器や人工内耳を外します。合図に使われるのはピストルなどの音ではなく、目で見てわかる光や旗。競技中のコミュニケーションは、アイコンタクトや手話、ハンドサインなどで行います。

また、きこえない・きこえにくい選手への応援方法として、目で見てわかる「サインエール」が使われたのも、今回のデフリンピックの特徴です。日本の手話言語をベースにつくられた新しい応援のかたちで、多くの会場が盛り上がりました。競技会場への総来場者数は約28万人にものぼり、入場規制がかかる会場も。日本勢は過去最多の51個のメダルを獲得しました。

その大いに盛り上がった大会を支えたのが約3,000人のボランティアです。応募者数は約1万9000人と募集人数を大幅に上回り、希望する活動場所などを踏まえて抽選で選ばれました。競技会場での選手・観客・関係者の案内・誘導、国内外のメディアの対応補助、競技結果の整理などの運営サポートなど、活動内容は多岐に渡りました。

ボウリング競技が行われた東大和グランドボウル(東京都東大和市)の様子

メディア対応、「困りごとに寄り添って」

実際に、ボランティアはどのような活動をしたのでしょうか。

デフリンピックスクエアで取材に訪れたメディアに対応する宮川さん

東京・代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センター。大会期間中は「デフリンピックスクエア」として一般に開放され、デフスポーツやろう者の文化への理解を深めるコンテンツなど、様々なプログラムが開催されていました。大会運営本部やメディアセンターもデフリンピックスクエアに置かれ、多くのボランティアが活動しました。

メディアセンターで受付対応をしていたのは宮川里咲(りさ)さんです。取材に訪れるメディア関係者に、ビブスを配布したり、問い合わせに答えたり、手話を交えて笑顔を絶やさず活動していました。

問い合わせの中には海外から来たメディアから急きょ「開会式に入場できないか」といった相談や、他県の競技会場の窓口でなければ対応できないものなどの難題もあったそうです。それでも「困りごとのある方に丁寧に寄り添い、良い方向に解決したい」という気持ちを欠かさずに対応。満足された様子でお礼を言われたときには「お役に立てたことに、やりがいと喜びを感じた」ということです。

宮川さんがボランティアを始めたのは、社会人になり立ての頃。勤め先の要請で青梅マラソンの給水を担当し、ランナーに「ありがとう」と言われることにやりがいを感じたといいます。ボランティアへの関心が強まったのは、今は亡きお母様が難病にかかり、介護をしたのがきっかけでした。地域の中で、動くことが不自由な人を支える活動を探すうちに、自らもボランティアに携わるようになったといいます。

小さな子どもを育てながら、数々の国際大会のボランティアを経験してきた宮川さん。デフリンピックの東京開催が決まると手話の勉強を始め、共同代表を務めるボランティアグループでは初心者同士で手話を学び合う勉強会を企画して、デフリンピックに備えてきたそうです。そして勉強会を進める中、「手話以外にも思いを伝えるツール、コミュニケーションをとる方法はあるんだ」という気づきもあったとのこと。

メディア関係者に配られた「ユニバーサル・チャットボード」など

手話をはじめコミュニケーションに関する内容の事前研修があったそうですが、今大会で用意された、場所や物、「はい」「いいえ」「ありがとう」などのアイコンを並べた「ユニバーサル・チャットボード」がかなり役立ったそうです。海外の方とも、アイコンを指さしてコミュニケーションをとることができたといいます。

ボランティア活動を通じてさまざまな人と出会い、自分の世界が広がり続けているという宮川さん。「人との交流はやっぱり楽しいです。いろんな方々がいらっしゃって、いろんな考え方があって、そこで自分が感じていない考え方があると刺激を受けます」

ボランティア仲間らと手話を交えておしゃべりをする宮川さん

ボランティアに興味があるけどためらっている人に「まずはやってみたい、という気持ちが大切」とエールを送ります。

「やった結果、『もっとサポートしたかった』『もっと言葉がわかれば』と思ったら、次の機会までに学んで生かせばいいんです。やらないで後悔するより、やってみて初めてわかることがあります。反省点があれば、次に改善すればいい。ぜひ一歩踏み出してほしいですね」

デフリンピックでのボランティアは、「目を見て話すことの大切さを改めて確認する機会になった」と言います。今回のボランティアを経験して、次回大会の2029年アテネデフリンピックにもぜひ参加してみたい、と笑顔で教えてくれました。

宮川さんは「やらないで後悔するより、やってみて初めてわかることがある」とボランティアへの参加を呼びかけました

手話がわからなくても、大切なのは「伝えたい」という思い

デフリンピックの競技には、オリンピックやパラリンピックでは行われない珍しいものもあります。その一つがボウリング。東大和市のボウリング競技の会場で、笑顔で来場者の誘導や案内をしていたのは新開旭(しんかい あさひ)さんです。「ありがとう」や「またね」の手話を使いながら、来場者ひとりひとりと目を合わせて、コミュニケーションを取ります。

小さいころからボウリングには慣れ親しんでいたものの、競技としてのボウリングの知識はなかったという新開さん。今回ボランティアをするにあたり、競技としてのボウリングについて事前に学んだといいます。

新開さんのバッグにはかわいいボウリングピンのマスコットがついていました。この日、初対面の海外の選手がプレゼントしてくれたそうです。「なぜくれたのかはわからないけれど、とてもうれしかった」と笑みがこぼれました。

新開さんが受け取ったマスコット付きのキーホルダー

普段は外国人観光客を案内する専門職「通訳案内士」として働く新開さん。国際会議でも多言語対応ボランティアとして定期的に活動しています。新開さんがボランティアを始めたのは2009年。社会人になった年に、社会のために何かしたいとボランティアを始めたそうです。これまで、さまざまな分野の活動に参加してきましたが、「東京マラソン」をはじめ、観光ボランティアや海外でのボランティア活動を長く続けています。ボランティアは新開さんにとって、「楽しいことでしかない」といいます。

新開さんの夢は、海外の方が観光だけでなくボランティアを目的として、日本を訪れるような仕組みをつくること。デフリンピックの経験は、夢の実現に向けた大きな一歩になったようです。

そんな新開さんがデフリンピックのボランティアに応募したのは、「東京で開催される大きな国際大会だから」「コロナ禍を経て、たくさんの観客がいる状態で活動してみたいから」「手話を生かせる場所だから」という三つの理由からでした。

「デフリンピックはシーンとした中で競技が行われるかと思っていたら、全然そんなことはなかったです」と語る新開さん

日本手話の勉強は2020年から、国際手話の勉強はデフリンピックを機に始めたという新開さん。あいさつや誘導、案内などの手話は使えるようになったそうですが、まだまだ手話で表現できる内容には限りがあるといいます。それでも、ジェスチャーなど手話表現以外でも積極的にコミュニケーションをとることを大切にしているそうです。

「たとえば誘導のときは、進行方向を手で指し示したほうが早いですよね。『ストラップ』の手話表現はわかりませんが、実物を見せれば通じると思います。『伝えたい』という気持ちがあれば、必ず伝わると信じて動いています」と新開さんは言います。

会場入り口でストラップを手渡す新開さん

「もし、ボランティアをしてみたいという気持ちが少しでもあるなら、臆せずに一歩を踏み出してみてください。そもそもボランティアしたいという気持ちを持つことが大変な場合もありますよね。だからまずは当日来てくれたらそれでOK。あとは多くの仲間が支えてくれるので、なんとかなります。みんなボランティアが好きで来ているので、温かい方ばかりですよ。この記事を読んだみなさんともいつか一緒に活動できるのを楽しみにしています」

「一歩踏み出せば、周囲には多くの仲間がいます」と語る新開さん