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橋本聖子JOC会長「予算以上の価値を生み出したい」 愛知・名古屋アジア大会まで1年、今の思いを語った
2025.09.22

愛知・名古屋アジア大会の開幕まで、19日であと1年となった。日本オリンピック委員会(JOC)の橋本聖子会長は、東京新聞のインタビューで、「運営は五輪以上に大変だと思うが、成功してもらわなければいけない。達成感だけではなく、次への期待感がにじみ出る大会にしてほしい」と述べた。(聞き手・鈴木啓紀、山内晴信)
橋本聖子(はしもと・せいこ) 冬季のスピードスケート、夏季の自転車で五輪に計7度出場。1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケート女子1500メートルで銅メダルを獲得し、日本女子で冬季五輪初の表彰台に立った。現役だった1995年に参院議員に初当選し、6期目。五輪大臣や東京五輪・パラリンピック組織委員会会長などを歴任し、今年6月にJOC初の女性会長に就いた。60歳。北海道出身。
◆「次への価値を生むことができるのか、説明を尽くす」
──6月に初めて女性でJOC会長に就任した。ここまでの活動を通じて感じたことは。
「就任後、全国各地を回ったとき、スポーツの力に期待する声をたくさんいただいた。健全な青少年の育成といったものに頑張ってもらいたいと。アスリートたちが健康法であったり、教育論であったり、社会課題の解決に向け、先頭に立ってもらいたいという期待感がすごくあった」
──アジア大会開幕まで1年。
「私は冬(冬季大会)は何度か出ているが、夏(夏季大会)は1994年の広島大会だけ。当時と比べると参加国数や種目も多くなっており、運営は大変だ。人手不足や資材高騰で予算が膨れ上がっていることも事実だが、全てを削減していったら、ただ単に『やっただけ』になってしまう。それ(予算)以上の価値を生み出すことができれば」
──東京五輪でも経費増大が問題になった。
「ちゃんと説明責任を果たさなければいけない。そこがアジア・アジアパラ大会のこれからの課題だ。どれだけの経費がどうかかるのか。だからこそ、次への価値を生むことができるのか。大会組織委員会や愛知県、名古屋市と連携しながら説明をし尽くしたい」
──「次」とは具体的にどのようなことを念頭に置いているのか。
「地域に何がもたらされるかが重要だ。次世代の子どもたちに大会の素晴らしさを伝えることができるか。そして、自治体職員やボランティアなど大会に参画した人たちが『次もやってみたい』という思いになってほしい。思いが途切れてしまうことが、国際大会は一番駄目。やり遂げる姿勢と情熱をどんどん膨れ上がらせないと、最終的に大きな価値にはならない」
◆クルーズ船宿舎について話したことは
──愛知・名古屋大会は選手村を設けず、クルーズ船を宿舎にするなど新しい試みがされる。アスリートの反応が気になる。
「過去、クルーズ船を用いた国際大会はいくつもあった。安全性が保たれるというのもあるが、それ以上のホスピタリティーがないと満足してもらえないと思う。愛知県、名古屋市だけでなく、日本の魅力というものを感じてもらえるようにやっていかなければいけない。東京五輪・パラリンピックは新型コロナ禍で規制があった。競技から離れ、触れ合いなども満喫してもらえるかが重要だ」
──東京五輪・パラリンピックの大会ビジョンの一つに「多様性と調和」があった。国内外の政治や社会状況を鑑みると、理想に近づいているとは言い難い側面もある。
「性別やLGBTQ(性的少数者)の問題もそうだが、これから国際オリンピック委員会(IOC)が、どういう姿勢で取り組んでいくか。重要テーマであるからこそ、丁寧に説明しながら賛同を得ていかなければならない」
──陸上の世界選手権東京大会が開催され、11月には聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」も行われる。今後の国際大会招致に向け、JOCとしてどう取り組む考えか。
「目の前の大会で、JOCとしての役割をしっかりと果たして大会を成功させる。この国にやってもらいたいと思ってもらえる結果を出さないと、次はないと思っている」
◇ ◇
◆選手時代の橋本会長にとって「重要な位置付け」
橋本会長は、日本で前回開かれた1994年の広島アジア大会に自転車女子個人追い抜きで出場し、銅メダルを獲得した。女子スピードスケートで出場したリレハンメル冬季五輪を同年2月に終え、自転車に専念することを決めたばかりでの大一番だった。「夏季アジア大会は世界にレベルが近く、重要な位置付けだった」と振り返る。
アスリートがアジア大会に臨む意義を「アジアの中で、日本の置かれている位置をどう感じるか」と説く。経済的に恵まれない国もある中で「スポーツを通じて何をしたいのか、一人一人が一つでも気付くことがあれば、日本でやった価値がある」と語った。
橋本聖子(はしもと・せいこ) 冬季のスピードスケート、夏季の自転車で五輪に計7度出場。1992年アルベールビル冬季五輪のスピードスケート女子1500メートルで銅メダルを獲得し、日本女子で冬季五輪初の表彰台に立った。現役だった1995年に参院議員に初当選し、6期目。五輪大臣や東京五輪・パラリンピック組織委員会会長などを歴任し、今年6月にJOC初の女性会長に就いた。60歳。北海道出身。
◆「次への価値を生むことができるのか、説明を尽くす」
──6月に初めて女性でJOC会長に就任した。ここまでの活動を通じて感じたことは。
「就任後、全国各地を回ったとき、スポーツの力に期待する声をたくさんいただいた。健全な青少年の育成といったものに頑張ってもらいたいと。アスリートたちが健康法であったり、教育論であったり、社会課題の解決に向け、先頭に立ってもらいたいという期待感がすごくあった」
──アジア大会開幕まで1年。
「私は冬(冬季大会)は何度か出ているが、夏(夏季大会)は1994年の広島大会だけ。当時と比べると参加国数や種目も多くなっており、運営は大変だ。人手不足や資材高騰で予算が膨れ上がっていることも事実だが、全てを削減していったら、ただ単に『やっただけ』になってしまう。それ(予算)以上の価値を生み出すことができれば」
──東京五輪でも経費増大が問題になった。
「ちゃんと説明責任を果たさなければいけない。そこがアジア・アジアパラ大会のこれからの課題だ。どれだけの経費がどうかかるのか。だからこそ、次への価値を生むことができるのか。大会組織委員会や愛知県、名古屋市と連携しながら説明をし尽くしたい」
──「次」とは具体的にどのようなことを念頭に置いているのか。
「地域に何がもたらされるかが重要だ。次世代の子どもたちに大会の素晴らしさを伝えることができるか。そして、自治体職員やボランティアなど大会に参画した人たちが『次もやってみたい』という思いになってほしい。思いが途切れてしまうことが、国際大会は一番駄目。やり遂げる姿勢と情熱をどんどん膨れ上がらせないと、最終的に大きな価値にはならない」
◆クルーズ船宿舎について話したことは
──愛知・名古屋大会は選手村を設けず、クルーズ船を宿舎にするなど新しい試みがされる。アスリートの反応が気になる。
「過去、クルーズ船を用いた国際大会はいくつもあった。安全性が保たれるというのもあるが、それ以上のホスピタリティーがないと満足してもらえないと思う。愛知県、名古屋市だけでなく、日本の魅力というものを感じてもらえるようにやっていかなければいけない。東京五輪・パラリンピックは新型コロナ禍で規制があった。競技から離れ、触れ合いなども満喫してもらえるかが重要だ」
──東京五輪・パラリンピックの大会ビジョンの一つに「多様性と調和」があった。国内外の政治や社会状況を鑑みると、理想に近づいているとは言い難い側面もある。
「性別やLGBTQ(性的少数者)の問題もそうだが、これから国際オリンピック委員会(IOC)が、どういう姿勢で取り組んでいくか。重要テーマであるからこそ、丁寧に説明しながら賛同を得ていかなければならない」
──陸上の世界選手権東京大会が開催され、11月には聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」も行われる。今後の国際大会招致に向け、JOCとしてどう取り組む考えか。
「目の前の大会で、JOCとしての役割をしっかりと果たして大会を成功させる。この国にやってもらいたいと思ってもらえる結果を出さないと、次はないと思っている」
◇ ◇
◆選手時代の橋本会長にとって「重要な位置付け」
橋本会長は、日本で前回開かれた1994年の広島アジア大会に自転車女子個人追い抜きで出場し、銅メダルを獲得した。女子スピードスケートで出場したリレハンメル冬季五輪を同年2月に終え、自転車に専念することを決めたばかりでの大一番だった。「夏季アジア大会は世界にレベルが近く、重要な位置付けだった」と振り返る。
アスリートがアジア大会に臨む意義を「アジアの中で、日本の置かれている位置をどう感じるか」と説く。経済的に恵まれない国もある中で「スポーツを通じて何をしたいのか、一人一人が一つでも気付くことがあれば、日本でやった価値がある」と語った。