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15年前の自分に贈る家族写真 応じた6家族、それぞれの思いとは
2026.02.27
15年前の自分たちに贈る家族写真を撮りませんか――。東日本大震災の被災地、岩手県野田村でそんな募集をしたところ、6家族が応じた。呼びかけたのは、自分の家族を様々に扮装させて撮った写真集「浅田家」で知られ、映画のモデルにもなった浅田政志さん(46)。写真には15年間の家族の歩みが凝縮されている。
浅田さんは震災後、津波で流されて見つかった写真を洗浄し、持ち主に返却する野田村でのボランティア活動「写真返却会」に参加し続けている。
今回の企画に応募した人たちには、被災して自宅や店舗を再建した人、結婚や出産した人、震災後に移住した人など様々。浅田さんは昨秋、それぞれの家族の15年を聞き取り、その歩みを一枚の写真に収めた。
会社員の大沢剛さん(47)は、妻の和子さん(43)と暮らしていた自宅が津波で流され、思い出の写真がなくなり、何度か写真返却会を訪れた。そこで浅田さんの気さくな人柄にひかれ、「大沢家も撮ってくださいよ」と冗談半分に話したところ、実現した。
写真には一家の思いがたくさん詰め込まれた。
祭り好きの一家なので、がれきから見つかった「愛」をかたどった山車の飾りを背景にした。山車の人形用に剛さんが手作りしたかぶとは自分でかぶった。和子さんは愛猫を抱いた。机上のチョコレートは、震災の日の夜、和子さんと2人で分け合って飢えをしのいだ経験を示した。
手前に写る長女の明里さん(14)は、小指と親指を立てて顔の前にかざした。震災2日後、和子さんが胎児が心配で医者にエコー撮影をしてもらうと、胎内の明里さんが「元気だよ」と言わんばかりに、こっちを向いていた時のポーズだ。
剛さんは勤務先の葬祭会社で津波犠牲者の火葬対応に追われ、心身ともに消耗していた。「がんばらなきゃと、エコー画像を見て涙が止まらなかった」と振り返る。
明里さんは、撮影を通じて両親の苦労を初めて知り、育ててくれたことに感謝した。浅田さんから得意の習字で思いつく字を書いてほしいと言われ、大きく「幸」と書いた。「家族や友だちと話す毎日が楽しいから」。剛さんは「15年前の不安な夜の自分に、誠実に働けばこんな幸せがついてくると伝えたい」。
1930年創業、村で唯一の老舗菓子店を両親と経営する外舘(とだて)心さん(41)は、客から勧められて応募した。
店は津波で大規模半壊。震災2年前に買ったばかりの菓子の製造機は使えなくなった。心が折れそうだったが、「店の明かりがあるだけで元気が出る」と客から背中を押され、2カ月半で再開した。
それから15年。結婚して3人の子に恵まれ、妹の大沢咲さん(31)も修業を終えて一緒に菓子作りをしている。
写真は、遠方で暮らす弟や上の妹一家も呼び、総勢13人で再建した店をバックに撮影した。「久々に全員が集まるきっかけになった」と喜ぶ。
写真は再建した店の前で撮影した。看板と同じ形に切った紙をそれぞれ手に持ち、震災後に生まれた子どもたちの紙には支援してくれた人たちへの感謝を込めて「あ」「り」「が」「と」「う」と書いた。写真中央のケーキには、助けてくれた自衛隊員やパティシエら10人の人形を咲さんがお菓子で作って乗せた。
母の大沢邦子さん(68)は「スナップ写真を撮るだけだと思っていたが、浅田さんと話しながら色々と小道具を用意しているうちに家族の絆が強まった」。心さんは、絶望の淵にいた15年前の自分をこう励ましたい。「大丈夫。何とかなるから」
浅田さんは「自分の写真で苦労されている方のために何かしたいとずっと思っていた。震災直後はそんな雰囲気ではなかったが、15年を迎えて家族写真が撮れるようになってよかった」と話す。3月の写真返却会にも参加する予定だ。(東野真和)
浅田さんは震災後、津波で流されて見つかった写真を洗浄し、持ち主に返却する野田村でのボランティア活動「写真返却会」に参加し続けている。
今回の企画に応募した人たちには、被災して自宅や店舗を再建した人、結婚や出産した人、震災後に移住した人など様々。浅田さんは昨秋、それぞれの家族の15年を聞き取り、その歩みを一枚の写真に収めた。
会社員の大沢剛さん(47)は、妻の和子さん(43)と暮らしていた自宅が津波で流され、思い出の写真がなくなり、何度か写真返却会を訪れた。そこで浅田さんの気さくな人柄にひかれ、「大沢家も撮ってくださいよ」と冗談半分に話したところ、実現した。
写真には一家の思いがたくさん詰め込まれた。
祭り好きの一家なので、がれきから見つかった「愛」をかたどった山車の飾りを背景にした。山車の人形用に剛さんが手作りしたかぶとは自分でかぶった。和子さんは愛猫を抱いた。机上のチョコレートは、震災の日の夜、和子さんと2人で分け合って飢えをしのいだ経験を示した。
手前に写る長女の明里さん(14)は、小指と親指を立てて顔の前にかざした。震災2日後、和子さんが胎児が心配で医者にエコー撮影をしてもらうと、胎内の明里さんが「元気だよ」と言わんばかりに、こっちを向いていた時のポーズだ。
剛さんは勤務先の葬祭会社で津波犠牲者の火葬対応に追われ、心身ともに消耗していた。「がんばらなきゃと、エコー画像を見て涙が止まらなかった」と振り返る。
明里さんは、撮影を通じて両親の苦労を初めて知り、育ててくれたことに感謝した。浅田さんから得意の習字で思いつく字を書いてほしいと言われ、大きく「幸」と書いた。「家族や友だちと話す毎日が楽しいから」。剛さんは「15年前の不安な夜の自分に、誠実に働けばこんな幸せがついてくると伝えたい」。
1930年創業、村で唯一の老舗菓子店を両親と経営する外舘(とだて)心さん(41)は、客から勧められて応募した。
店は津波で大規模半壊。震災2年前に買ったばかりの菓子の製造機は使えなくなった。心が折れそうだったが、「店の明かりがあるだけで元気が出る」と客から背中を押され、2カ月半で再開した。
それから15年。結婚して3人の子に恵まれ、妹の大沢咲さん(31)も修業を終えて一緒に菓子作りをしている。
写真は、遠方で暮らす弟や上の妹一家も呼び、総勢13人で再建した店をバックに撮影した。「久々に全員が集まるきっかけになった」と喜ぶ。
写真は再建した店の前で撮影した。看板と同じ形に切った紙をそれぞれ手に持ち、震災後に生まれた子どもたちの紙には支援してくれた人たちへの感謝を込めて「あ」「り」「が」「と」「う」と書いた。写真中央のケーキには、助けてくれた自衛隊員やパティシエら10人の人形を咲さんがお菓子で作って乗せた。
母の大沢邦子さん(68)は「スナップ写真を撮るだけだと思っていたが、浅田さんと話しながら色々と小道具を用意しているうちに家族の絆が強まった」。心さんは、絶望の淵にいた15年前の自分をこう励ましたい。「大丈夫。何とかなるから」
浅田さんは「自分の写真で苦労されている方のために何かしたいとずっと思っていた。震災直後はそんな雰囲気ではなかったが、15年を迎えて家族写真が撮れるようになってよかった」と話す。3月の写真返却会にも参加する予定だ。(東野真和)